Photo:123RF
日本の食文化が、ニューヨークに更なる新たな波を起こしている。寿司やラーメン、日本酒に続き、現在注目を集めそうなのが、意外にも「プリン」だ。有力紙『The New York Times』が「次に来る日本発のブーム」として取り上げたことで、この素朴な卵のデザートが都市の食文化に静かに浸透し始めている。
筆者がニューヨークの飲食シーンを観察する中で感じているのは、日本式カスタードプリン(Purin)が人気になった場合、それは一過性の流行ではなく、現代のニューヨーカーの食やライフスタイルに対する価値観の変化を反映した自然な現象として馴染むであろうということだ。『The New York Times』の特集「What Will Be the Next Big Thing From Japan?」では、複数のシェフやデザイナー、アーティストが今後注目すべきトレンドを語っており、レストラン「Takumen」のオーナー、Kiyo Shinoki氏はその中で「Purin」を挙げている。
アメリカで「プリン」の呼び名は「pudding」と繋がりやすいが、実際のpuddingはもっとクリーム状で、食感の異なるデザートである。日本のプリンに最も近いのは「フラン(flan)」であり、スーパーマーケットで売られている市販のフランは、日本でいう「プッチンプリン」のような存在だ。一方、レストランで提供されるフランは、日本のプリンにより近いが、大きな器で作られ、取り分けて提供されることが多く、日本のように一つ一つのプリン型に入れて個別に作られるスタイルとは異なる。
また、近年ではアメリカのスイーツもかつてのような「激甘」からは脱却しつつあるが、それでもなお、日本のプリンが持つ優しく繊細な味わいとは明確に違う。だからこそ、Shinoki氏は『The New York Times』の記事の中で、puddingやflanといった既存の言葉ではなく、「Purin」と独自の名称を用いることで、その違いとアイデンティティを明確に打ち出しているのである。
素材の良さが生む日本の食の魅力
Shinoki氏は「日本のカスタードプリンは、クレームブリュレとフランの中間のような食感を持ち、非常に人気のあるお菓子」と説明している。特に注目すべきは、彼が日本の卵文化についても言及している点だ。「日本では生卵を日常的に食べるため、卵は非常に新鮮で美味しい。それがプリンの味にも影響している」と語り、単なる味覚以上の文化や品質管理の高さを伝えている。
このような「素材に忠実な味わい」が、健康志向かつ本物志向を持つニューヨーカーの感性に響いているのだろう。アメリカにもフランのようなデザートは存在するが、そこに「日本式のプリン」という新しさを加えることで、親しみと新鮮さの両方を提供している。また、シンプルだからこそ素材や技術の違いが際立ち、文化的背景への理解と敬意が付加価値を生むのだ。
アラモードという掛け合わせの妙
Shinoki氏は、自身の好みとして「アイスクリームや季節の果物と一緒に楽しむ“プリン・ア・ラ・モード”が好き」と語る。彼の経営するレストラン「Takumen」では、日本のソフトクリームスタンドも展開しており、現在はアイスクリームと組み合わせたプリンの開発にも取り組んでいる。
このように、プリン単体ではなく、他の要素と掛け合わせることで、新しい体験価値を生み出す「プリン・ア・ラ・モード」の展開は、日本の食文化をニューヨークの文脈で再構成できるグローカルな好例といえる。基本となるプリンを中心に、多様な要素を重ねていくことで、高付加価値化と顧客満足度の向上を同時に実現する戦略だ。
記憶に残る「体験」としてのデザート
記事の最後でShinoki氏は「このプリンを一度食べたら、きっとまた食べたくなる」と語っている。ここで彼が示唆しているのは、この日本風プリンが単なるスイーツではなく、人の記憶に残る「体験」として機能している点だ。
ニューヨークのように外食競争が激しい都市において、再訪したくなる魅力を持つことは、ビジネスとしての持続可能性を意味する。それは派手な見た目や一時的な話題性ではなく、本質的な美味しさと、安心感・心地良さといった情緒的な要素がリピーターを生む原動力になっている。
脱インスタ映え時代の「素朴な満足感」
ここ数年、ニューヨークのスイーツシーンには明らかな変化が見られる。かつて主流だった「強烈な見た目」や「衝撃的な味覚体験」から、徐々に「じんわりと染みるような優しさ」や「懐かしさ」を感じさせる日常的なデザートへの関心が高まりつつある。
プリンの持つやさしい甘さ、なめらかな口当たり、そしてどこか懐かしさを感じさせる佇まいは、都市生活に疲れた人々にとって癒しをもたらす存在だ。特にZ世代やミレニアル世代には、過剰な演出ではなく、本質的な「美味しさ」と「安心感」が求められているのかもしれない。
昭和レトロの再評価—古さが新しさになるとき
日本では「懐かしの定番」として親しまれてきたプリンが、ニューヨークでは「洗練された文化的選択肢」として新たな価値を持ち始めている。昭和の喫茶店を思わせるカラメルやチェリーのトッピング、丸みを帯びたシンプルなフォルムなど、日本国内ではやや古風と見なされがちな要素が、海外では「素朴でアイコニック」「丁寧さの象徴」として再評価されている。
これは「時間軸のずれ」「地域性の違い」がもたらす価値の再創造だ。日本で日常化し埋もれているような文化的資産が、異なる文化的文脈に置かれることで新たな魅力を放つ。この現象は、日本国内に眠る「ローカル定番」をあえてグローバルな視点で再編集することの重要性を示している。
ビジネス展開の視点—単品から体験へ
Shinoki氏のような取り組みは、プリンを単なる食品の枠を超えたビジネスとして展開する可能性を示している。彼のレストランでは、日本のソフトクリームとの組み合わせによる、プリン提供の準備がされている。それは、顧客が「次はどんなプリンが出てくるのか」といった期待感を持って訪れるようになる仕組みなのだ。
こうした「掛け合わせ戦略」は、基本となるプリンを軸に、季節の果物や異なるトッピングを組み合わせることで商品価値を高め、顧客体験を豊かにしている。これはまさに、日本の「余白(のりしろ)を残す」美学が上手く商業的価値へと昇華される事例といえるだろう。
日本企業が得るべき示唆
このプリンの事例から、日本企業がグローバル展開において学べることは多い。まず、自国では「当たり前」とされている商品やサービスが、海外では全く新しい価値を持ちうるという認識だ。文脈を変えることで商品価値は再構築されうる。
次に、高品質を「当然」とせず、しっかりと言語化し、背景やストーリーとともに伝える力が求められる。Shinoki氏が日本の卵文化について語ったように、製品の裏にある文化や哲学を丁寧に届ける姿勢が差別化につながる。
さらに、単品の完成度だけでなく、その提供方法やストーリーテリングによって、商品をより大きな体験へと昇華させる視点も必要である。その際には、展開先の文化的背景や嗜好への深い理解が前提となる。
未来への展望—ミニマルとエクスペリメンタルの共存
今後、日本のプリン文化はニューヨークでどのように進化していくだろうか。Shinoki氏のように、基本となる品質を守りつつ、現地の文化や嗜好に応じたアレンジを加えることで、「プリン=再発見されたクラシック」としての地位を確立していくと予想される。
日本発の食文化がグローバルに受け入れられるためには、「日本では当たり前=海外では未知の魅力」「説明されて初めて伝わる品質」「美意識の再編集」「感情と結びつく共鳴性」「スタイリング力による付加価値化」の5つのポイントが鍵となるだろう。
一見シンプルなプリンというデザートが描くストーリーは、日本のブランド価値を世界に再提示する手がかりとなる。派手さや奇抜さではなく、そこには真摯な姿勢と文化的背景への理解がある。今、時代は本物(オーセンティック)の価値へと回帰している。
